その1



 屯所を吹き抜ける風が爽やかさを増した、清々しい朝のこと。
 顔を洗ってさっぱりした土方は、そろそろ近藤を起こしに行こうかと考えながら、長い廊下をゆったり歩いていた。
 その目の前をさっと、小さなものが横切って行く。
「んあ?」
 一瞬見間違いかとも思ったのだが、考えるまでもなく追いかけていた。
 ぱたぱたと軽い足音が廊下を進んで行く。
「おい、待て!」
 やはり見間違いではなく、なぜか大きなシャツを羽織った小さな子供が土方の前を走っていた。
 子供の年齢などよく分からないが、あまり大きくはなさそうだ。
「ナニ騒いでんのぉ…」
 そのとき、廊下の向こう、子供と土方の進んで行く先から眠そうに欠伸をしている近藤が姿を見せる。
「近藤さん、そいつ捕まえてくれ!」
「え、あっ…」
 渡りに船、とばかりに追いかけながら近藤に向かって叫んだ。子供はすぐに近藤が広げた手の中に捕まり、抱き上げられている。
 ほっとして走る足を緩めて近藤に歩み寄った。
「なにやってんの」
 近藤の呟きを聞いて、土方は肩をすくめてみせる。
「どっかから迷い込んできたんだろ。門番は何やってんだ全く」
 子供が簡単に入れるようじゃ門番の意味がねえ、と土方が零している。
 子供好きの近藤は、首にしがみついている子供の背中を優しくぽんぽんと叩いてやっていた。
「今度はどしたんだ? そういう遊びはダメだって言っただろ」
「…知ってる子か?」
 親しげな言葉に土方がわずかに眉を上げる。そういえば、初対面の子供は大抵怖がるはずの近藤相手に怯えも暴れもせずに抱かれている子は珍しい。
「知ってるもなにも、総悟だし」
「なにいィ?」
 驚いた様子もない近藤の言葉に土方が愕然とする。慌てて小さな肩を掴んで引きはがそうとしたが、近藤にますますぎゅっと抱きついて離れようとしない。
「コラコラ、小さい子に乱暴にしない」
「誰が小さい子だっ」
 土方の手から庇うように、近藤が一歩を下がる。その時、抱きついたままだった子供がふっと土方を振り返った。
「……確かに、総悟だ」
 全体的に小さく幼くなってはいるが、間違いなく沖田だった。土方が沖田と知り合った頃より、もっと幼いだろうか。
 もともと沖田は童顔だけれど、こんなにも幼い顔立ちはいっそ愛らしいと土方でさえ思う。






その2



「…トシ」
 頬を包んだ両手に少し力をこめ、近藤はひどく真面目な顔をして迫ってきた。
『いつもそういう顔してりゃ、男っぷりも、もっと上がるのにな』
 そう思ったことは口にせずに、薄く唇を開き近藤を受け入れた。
 吸い続けた煙草に舌が痺れているのか、近藤の舌がやけに熱く感じられる。
 性急に絡みついてくるその熱に深いところの熱を呼び覚まされてしまいそうだ。
「…っ、ん…」
 呼吸が苦しくなりかけて、土方が少し身を引きかける。しかし近藤の手に強くうなじを押さえられ、逃げられない。
 強引な熱に翻弄されてしまい、土方は近藤の袂にすがっている。
 嫌な訳ではない、ずっと触れたかった。自分は淡泊な方だと思っていたのを改めなければならないほど、近藤の熱を欲していた。
 近藤も、そうだったのだろうと言葉にされなくても分かる。深く求めてくる無遠慮な舌に意識を飛ばしかけてしまいそうだ。
「トシっ……」
 唐突に唇が外れ、近藤に胸に引き寄せられた。強く、抱きすくめる腕の力が土方の胸を切ないものでいっぱいに満たしてゆく。
「近藤…さん…」
 呼吸を制限されていたのもあって、土方の胸も激しく動悸を打っていた。
 ふたりの熱気で車のガラスがすっかり曇り、強い雨音もあいまって世界にふたりだけ取り残されたような錯覚に陥る。
 このままここで、近藤ともつれ絡みたい。身の内で猛りかけた情欲が近藤と同じものかどうか、二人で確かめたいと思った。
 土方の腕が背中に回ると、更に固く抱き締められる。同じ早さで脈打つ一個の心臓になったようで、しばし胸が詰まって動けない。
「トシ…」
 近藤の腕がわずかに弛み、囁きが土方の耳朶から背筋を震わせる。
 ぞくりと身震いし、小さく息を飲んだ。
 いま誘われたら、間違いなく頷いてしまう。それほどに、気持ちが高揚していた。
「…ん」
 喉が渇いて張り付き、まともに声が出ない。近藤の大きな手に後ろ髪を撫でつけられるだけで、熱っぽいため息が漏れてしまいそうだ