「うわ、寒うっ……!」
「なんだこりゃ、雪まみれじゃねェですかィ」
 バスを降りるともう、目の前は一面の銀世界だった。吹き付けてくる風が身を切るように冷たくて、皆で思わず首をすくめた。



 本日は、真選組の新年会を行うことになっている。年末に、隊士が格安の宴会旅行をみつけてきたのが事の始まり。
 話を聞いた近藤は最初から乗り気で、土方に半ば懇願する勢いだった。
 土方としては、屯所を手薄にするのは気乗りしないと渋っていた。けれども近藤と隊士達の度重なるお願いの嵐と、料金の安さにとうとう折れたのだった。
 実際のところ、この料金はもしや詐欺かと疑うほどの安さだった。
 しかし予約のついでに宿へ安さの理由を尋ねてみれば、人件費を削ったり食事は個別でなくバイキング方式だったりと充分に納得できる。
 最近ではこういった方式の宿は増えているらしい。薄利多売を目的とした宿で人数を稼げる宴会が歓迎されるのも分かる気がした。
「本当は、なんか出るんじゃないですかィ?」
「なんかって、なんだ?」
 予約を済ませた土方の後ろで、沖田が意味深に笑っている。振り返った土方は眉間に皺を寄せて問い質した。
「つまりはホラ、いわくつきとか……」
 沖田はニヤニヤしながら、胸の前で両手首を垂らしてぶらぶらさせ、幽霊の真似をしている。土方がそういった類のものが苦手と知っていて、わざとやっているのは間違いない。
「ヤなこと言うなよ総悟ぉ」
 沖田の茶色い髪をくしゃくしゃとかきまぜて、近藤が苦笑いした。
 土方と同じく、近藤も物の怪の類を苦手としている。出来ればそういった話には持っていきたくないのが本音だろう。
「ここの宿、けっこー評判イイっすよ!」
 宿の情報を持ってきた隊士は、ネットで評判との口コミを検索して見せてくれた。高評価されていることに、皆はホッとした様子だ。
「せーっかくイイとこみっけたんだからさ、水を差さないの」
「へーい」
 少しばかりつまらなさそうに、近藤へ沖田が生返事をかえした。言葉にはしなかったものの、いちばんホッとしていたのは土方だったかもしれなかった。



 やがてやってくる当日。
 滅多にない一泊二日、しかも温泉宿での宴会とあって、隊士達のテンションは朝から上がりっぱなしになっていた。列車を経由して路線バスでの道中、持ち込んだ酒で既に出来上がっている者も居る。
「寒いっスかぁ? 涼しくてキモチいいっすよぉ」
「宿って遠いんですかね〜」
 へらへら笑っている隊士達の頭数を改めて、土方は宿から送られてきた地図を広げる。少しばかり歩くことにはなるが、温泉街を抜けて行く道のりは、かなり賑やかな様子だった。
 バスから一緒に降りた客も結構な人数が居たし、ずらりと並ぶ土産物屋の前も大勢が行き交っている。
「あっちだな。おい、行くぞ」
 分かれ道の先を確認して、土方が指さした方向に歩き出す。
「みんな足下に注意な〜」
「うぃース」
 近藤がその後に続きながら皆に声をかけた。除雪はされているものの、路面は凍結していて滑りやすくなっている。
 しかもゆるい上り坂で、転んだら目も当てられない。
「迎えはねェんですかィ、しみったれてんなァ」
「安いんだから、そのへんはガマンガマン」
 沖田のぼやきを、近藤が笑って宥めていた。一泊のため、荷物は皆多くない。注意して進んでいくうちに人通りが多くなり、だんだんと歩きやすくなってきていた。
「ゆでタマゴの匂いだぁ」
「イオウの匂いだろ」
 時折ふわりと温泉から漂う硫黄の香りが流れ、道脇の側溝からは湯気が上がっているのが見られる。
「どうぞ、お味見を〜」
「お、熱々だな」
 通りかかった店の前で蒸かしたての温泉饅頭を配られて、温泉ムードが更に盛り上がる。土産物屋はどこも繁盛している様子で、ひやかして歩くだけでも楽しい。
 店先には地元の菓子や特産品、漬物や乾物などが所狭しと並んでいる。奥には手ぬぐいや入浴剤、子供の玩具まで取り揃えているようだ。
「お前ら、見るのは宿に荷物置いてからにしろよ」
 店先に引っかかりがちな隊士たちを、先頭の土方が急かす。こんなペースではいつまで経っても宿にたどり着けそうにない。
「へーい」
「後で酒買いに来ないとなっ」
 ずらりと並ぶ地酒に後ろ髪を引かれながら、隊士たちは慌てて土方の後を追っていく。
「……っと、ここだな」
 やがて、ようやく足が止まる。土方が見上げたのは考えていたよりもずっと立派な温泉宿だった。
 木造ながら、三階建ての立派な造り。黒い瓦屋根と漆喰の白い壁のコントラストが美しい。確かに古びてはいるけれど、古くさいというよりも趣と歴史がある雰囲気だ。
「ホントにここですかィ? うっかり入ったらボッタクられそうでさァ」
「いや、間違いない。ここだ」
 正直にいえば土方も、格安料金のせいで、もっとずっとボロな宿なのだろうと思っていた。しかし聞いた名前も住所も間違ってはいない。
「邪魔するぜ」
 重い引き戸を開けて中をうかがうと、意外にも室内は明るくて簡素ながら清潔な装飾に出迎えられた。
「外だけなら、オバケが出てきてもおかしくねェ雰囲気だったけど」
「総悟、またそんなこと言って」
 沖田をたしなめる近藤の言葉には、土方はあえて取り合わないことにした。
「おい、誰か居ねえのか!」
 しかし、宿にしては受付に誰の姿もない。
 土方が大きめな声を出すと、ようやく奥から支配人らしき男が急いで姿を現した。
「お待たせしました、お泊まりでございますか」
「予約した土方だ」
「はい、土方十四郎様でございますね。お待ちしておりました…」
 型通りの挨拶をする受付の男に頷いて、土方は泊まりの手続きを進めている。そこから少し離れた場所で、一行は座り込んで大人しく待っていた。
「お待ちしておりましたって言ったって、待ってなかったじゃんねぇ」
「しー、人手がないんだろ」
 隊士のひとりが厳しく突っ込むと、近藤が小さな声でいさめる。
「オトナって……」
 ぼそっと漏れた沖田のひと言には、皆が苦笑いをするに止めた。