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三月の悲喜こもごも



「…………はぁ」


処務机を前に、土方が重い溜息をつく。もうどれだけこうしているだろう。
こんなことをしていても何の解決にもならないと、分かってはいるのだけれど。



最近は少し陽も延びてきて、早番が終わる夕刻の頃にもまだ太陽が沈んでいない。
日中には暖かいと感じる日もあって、もうじき春になるのだと肌で実感できる、三月半ばの頃。

町中は先月のバレンタインデーと対になったホワイトデーが終わったばかりで、どこか浮き足だった雰囲気がまだ取れていないように見うけられた。
しかしすぐにやってくる彼岸の入りを前に、店の華やいだ飾りは供え物のそれへと変化していく。

そんな時期に土方が溜息を落とす理由は、目の前に置かれた小さな箱。
そう、先月のバレンタインデーに近藤から貰ったシガレットチョコが原因だった。
中身は大事に頂いて、既になくなっているけれど、その箱はどうしても処分できずにいる。
「…どうすんだ」
小さな呟きも、空しく響くばかりだった。

ホワイトデーには、近藤にお返しをしようと考えていた。
しかし土方は、ホワイトデーに買い物など、したことがない。
何を買ったらいいか、くらいは知っている。キャンディーとかクッキーとかそういった物だ。ただ、それを買い求めることがどうしてもできなかったのだ。

土方は男前ゆえに、町に出れば注目の的だ。その土方が、ホワイトデーにプレゼントを買う姿が人目を集めない訳がない。
ホワイトデー向けに作られた包みを眺めているだけで、遠巻きに人垣が出来てさわさわと噂しているのが聞こえる。
一体誰が土方からお返しが貰えるのかと、皆が気になって仕方ないらしい。

そんな衆人環視の中では、プレゼントの買い物などできる訳がなかった。
強面の真選組副長として、軟弱な一面を晒すことを良しとできなかったのも、ある。
そういった事情で贈り物を用意できないまま、ホワイトデーは過ぎ去ってしまった。
今更買おうとしたところで、既に町中にはホワイトデーのホの字もない。

近藤は、期待していただろうか。
それとも、最初から返されることなど考えてもいないだろうか。
隊士の皆からチョコを貰ったからと、近藤はホワイトデー当日にクッキーの詰め合わせを沢山買い込んできて振る舞ってくれた。
自分は渡していないからと固辞しようとした土方も、近藤に強引に押しつけられてひとつ、貰った。

ささやかな好意もそれ自体が嬉しいと笑って、近藤は何倍にもして返してくる。そういう所が、隊士たちに慕われる所以なのだった。
でも、お返しをされるのだって嫌いではないことを土方は知っている。
子供のように笑って、ありがとうなと大きな声で言ってくれるだろうと容易に想像がつく。

だからこそ、ちゃんと返したいと思っていたはずなのに。
「ああ…俺のバカヤロウ」
なぜ買い逃してしまったのだろう。
しかし、とってつけたようにそこいらで売っている菓子を渡すのは気が引ける。
「本当に、バカヤロウ…だ」
空箱を目の前に、また溜息の混じった声が漏れた。

「誰がバカだって?」
不意に、閉まった障子の向こうから聞き慣れた声がする。
びくっと背筋が伸び、土方は咄嗟に処務机に置いたままだった空箱を胸ポケットに押し込んだ。
「な…んだよ、盗み聞きとはいい趣味じゃねえか」
細く長く息を吐き出して、動揺を押し殺した。立ち上がりさらりと障子を開け放つと、思った通り近藤がそこに笑っている。

「盗み聞きしたつもりはないけどよ、聞こえちゃったから」
しれっとした顔で、肩を竦める近藤に笑みを返した。
「近藤さんのバカヤロウって言ってたの聞かれちまったな」
「ええー、なんでオレがバカ?いや、バカだけどなんで独り言で言われてる?」
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
くっくと肩を揺らして、笑った。

「なんだよー、トシのがバカだろ」
「なんで俺のがバカ?」
近藤が拗ねた顔をすると、三十路も近い男とは思えない顔になる。可愛いと言ってはいけないのだろうけれど。
ふと口寂しさを感じて、胸ポケットを探る。
しかしそれが空箱であることを思い出して、処務机に向き直り近藤に背を向けた。

「ホワイトデー忘れてたクセにさあ」
「……っ…」
ぎく、と体が強張る。動揺している顔を近藤に見られなかったことを何かに感謝した。
「…近藤さん、欲しかったのか?」
精一杯静かに、大きく深呼吸をしてから言葉を絞り出す。平静を装うことには成功した。
「あったり前だろ!オレの初めてのチョコ受け取ったんだから、責任取れよなぁ」
「責任ってなんだよ」
思わず吹き出して、やっと振り返ることができた。

「どんな事でも、初めては価値があるもんなんだぞ」
腕組みをして、訳知り顔で近藤が頷いているものだからまた笑いそうになった。
「価値があるのは女なんじゃねえの」
「いーや、オレの初めてだって価値がある!」
「あーハイハイ」
適当にあしらうような事を言って、土方は煙草に火を点けた。

「そういう訳で今夜は飲みに行くぞ。トシのオゴリな」
「…分かったよ」
「よーし。じゃあ、後で迎えに来るからなっ」
土方の返事に上機嫌になり、近藤が居室を出て行く。
まるでつむじ風のようだ、と思いながら土方は閉まった障子を見詰めていた。

プレゼントのことばかり考えていて、ホワイトデーのお返しを奢りでなどと考えも及ばなかったことが可笑しい。近藤相手のこととなるとどうも調子が狂う。

二人で飲みに行くのが、お返しになるのかどうか。奢りといっても飲み代くらいはたかが知れている。
それでも近藤がいいならば、それ以上は言えなかった。
「絶対、俺の方が得してるよな…」
価値ある初めてをもらって、二人きりの時間まで貰える。
それならばむしろ、ホワイトデーに遅れて良かったのかもしれなかった。

「災い転じて福となす…?ちょっと違うか」
ことわざを持ち出してみたもののしっくり来ない。まあいいかと呟いて胸ポケットの空箱を取り出した。
後で、と近藤は言っていたけれどきっとすぐに来るだろう。出かける用意をしておかなければ拗ねそうだ。



処務机の引き出しの、一番奥。
与えられた場所に空き箱が収納されて、鍵が落とされる。
その箱の中に、土方の想いが詰め込まれている。
近藤がそれを知る日など来ないと、土方は思っている。
しかし知って欲しくないのかというと、分からなくなる。

空き箱を閉じ込めた引き出しのように、この想いを厳重に鍵を掛けて閉じ込めておけたらいいのに。
近藤には、いちばん触れて欲しくない。なのにそれを取り出す術を持っているのはこの人だけだ。

斬り込んで来る敵ならば躱せる。
しかし突然間合いを詰めてくる近藤は、どう躱せばいいのだろう。
いくら考えても答えの出ない問いを繰り返し、ぐしゃぐしゃと頭を掻いて煙草に火を点けた。
溜息で誤魔化しても、何の解決にもならないと、知っている。
近藤と一緒に過ごす毎日は、悲喜こもごも背中合わせだ。
嬉しかったり落胆したり、交差する想いの繰り返し。

「トシぃ、行けるかあ?」
「…おう。いま行く」
廊下から掛けられた声に、口の端がうすく笑みの形に動いた。やっぱり、すぐに来ると思った通りだ。
それでも全体を見れば嬉しいことの方が若干多いかもしれない。
だから、きっと自分は恵まれているのだろうと土方は思った。


                      了



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2009.03.18

ここでは近藤さんは土方を意識しているようないないような?と微妙な雰囲気です。ラブラブは遠いっ…(*´▽`*)

猫又







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