font-size       
誕生日のはじまり


夜半から降り出した雨は、明け方が近づきますます激しくなったようだ。

土方は薄闇の中で目を覚まし、しばしぼんやりと天井を見上げていた。
まだ日の出には遠い時刻だったが、曇天のせいでほのかに障子の向こうが明るく感じられる。
屋根を叩く篠突く雨音と、強い風が屯所の建物を軋ませる鈍い音が不気味に響いている。

ゆっくりと身を起こし、布団から抜ける。息を潜めて、傍らに投げ出されたままの着物を羽織った。衣擦れの音が多少気にかかったけれど、雨音にかき消されているようでほっとする。
穏やかに眠る近藤を起こさずに済みそうだ。

そそくさと土方が身支度をする間も、近藤の寝息は規則正しく途切れることがない。もともと眠りは深い方だし、その上今夜は土方と抱き合い濃厚な時を過ごしたから、お疲れなのだろう。
普段なら土方は近藤が眠るのを待って自室に戻っていく。今夜うっかり眠ってしまったのは、それだけ濃密だったからだ。

布団の端に膝を突いて、平和そのものの寝顔を見下ろす。
雨音に閉ざされて、世界に二人だけになってしまったような錯覚に陥りそうになる。
近藤を独り占めしたい願望など、土方にはないと思っていた。
けれどもこうして、子供のような寝顔を眺めているのが自分ひとりだと考えると嬉しくなる。

今日は、土方の誕生日。
子供の日に生まれるに似つかわしくないと笑われるのには慣れていた。
でも近藤は、初めて話した時に笑ったりしなかった。
「いいな!」とひどく羨ましそうにしていた。

なぜ羨ましいのかと、その時聞いた。
「祝日生まれは、日本中が祝ってくれるだろう?」と明るい笑顔が返ってきて、そのポジティブな考えに感心したのを思い出す。
いつもすっかり忘れている土方に、おめでとうを一番乗りで必ず言ってくれる。
今年は睦言の最中だったから、余計に濃厚な時を過ごすことになったのだろう。
ありがとう、と今更言葉にせずに呟く。

一際強い風が屯所を揺さぶり、土方は思い出したように忍び寄る肌寒さを感じた。
ぶるっと身震いして、近藤の頬に指先で触れる。そうして部屋に戻るつもりだった。
そのとき、近藤が土方の指に頬を擦り寄せて笑みを作った。それを見たら、帰りたくなくなった。
布団の端を持ち上げ、近藤の傍らへ滑り込む。身を寄せながら、誕生日だからいいだろうと自分に言い訳をしていた。

「ん……」

無意識だろうが、暖かな腕に引き寄せられる。幸せな気持ちが胸いっぱいに広がって、瞼が重くなる。
まだ風も雨も収まっていないはずなのに、音が聞こえなくなっていく。
近藤の寝息と規則正しい鼓動の音だけを聞いて、穏やかな眠りが訪れてくる。
目が覚めたら近藤はどんな顔をするだろうと考えながら意識を沈めていった。






「近藤さぁ〜ん!朝ですぜィ」
「起きて下さぁい〜」
眠りは、けたたましい呼び声で突如破られた。寝過ごしたかと土方が慌てて時計を確認すると、やっと明け方を迎える時刻。
雨は止んだようで、外が明るい。その障子の向こうに、何故だか隊士たちが群がっているらしい。

「なんだぁ〜…?」
眠い目を擦りながら近藤が身を起こす。事件などで時刻に関係なく叩き起こされる事があるから、近藤の寝起きは至極良い。
「っ…!」
「しー……」
近藤には、起こされたことより、傍らに土方が居たことのほうが驚きだったらしい。
焦った顔で口の前に人差し指を立てた土方の意図を悟り、近藤も同じように口の前に指を立てる。

「近藤さんー、土方さんの誕生日ですぜィ。朝駆け襲撃しに行きやしょう!」
「早く起きて下さいよ〜」
隊士の誰かが誕生日の朝、皆で寝込みを襲って祝うという事が時折行われていると土方も聞いたことがある。しかしまさか自分がその対象になるとは考えもしなかった。
間違いなく、沖田が皆を煽ったに決まっている。
今、開けられたら言い訳も立たない。すぐにここから逃げ出さなければ。

「よし、行くぞ」
「アンタはここに居なきゃまずいだろ」
素早く身支度を終えた近藤が不意に土方の手を握った。
「今日は、オレがトシを独り占め」
「え、ちょ…近藤さんっ」
近藤は驚き目を見開く土方に笑いかけ、そのままぐいっと手を引く。そして隊士たちの群がる障子の反対側から、土方とともに居室を飛び出した。
独占したいと考えていたのは、自分だけかと土方は思っていた。そうではなかった嬉しさと気恥ずかしさとに、かあっと耳が熱くなる。

「朝まで居てくれて、すっげー嬉しかった」
手を引かれるまま走っていた土方は、本当に嬉しそうな近藤の様子に自分まで幸せになのを感じている。
同じ思いで居てくれたことが、考えていた以上に胸を温かく満たす。
雨上がりの空気は透き通ったように爽やかで、土方の生まれた日を彩るようでもある。
水たまりが千切れ雲を映し出し、流れる風がさざ波を作る。
揃って非番の朝はまだ、始まったばかり。


----------------------------------------------------------------------
2009.05.05


猫又







前のページに戻る