font-size L M D S |
ハロウィン
「おい、そろそろ来るみたいだぞ。準備はいいか」 「へい!」 夕暮れ時の屯所内は、いつもならば夜勤との交代時刻でいちばん賑やかで活気のある時間帯のはずだった。 しかし今日は奇妙な緊張感と共に、多数の隊士が大きく開いた門の前に集っている。 その中央に腕組みをして陣取っているのはもちろん真選組局長、近藤勲。その隣で携帯電話を片手に全体の指揮をとっているのが副長の土方十四郎。 物々しい雰囲気で門の外を見つめる隊士達の後ろには、何故か色とりどりの菓子が山と積まれているのだった。 なにゆえこんな事態になっているのかというと。 ほんの数日前、近藤に突然松平片栗虎が連絡してきたところから始まる。 《オメーらンとこでも、ハロウィンやれや》 いつでも松平の言うことは唐突だけれど、聞き慣れない横文字にまず電話を受けた近藤が混乱した。 「は? はろいん? …ってソレなに?」 《『トリック・オア・トリート』ってなあ、菓子ねだりに来るから渡せ。そんで警護しろ。一緒に仮装もな》 「え、え? とっくりと仮死で火葬? ちょ、よくわからんですよ!」 軽くパニックに陥って叫ぶ近藤の手から、ひょいと受話器が取り上げられる。このままでは埒があかないと悟った土方がそのまま電話を替わった。 「とっつあん、一体何の話だ?」 《おー、トシか…聞いてくれよ最近の若い奴らはさぁ…ハロウィンデートだなんつって子供と一緒に盛り上がるんだっていうぜ…オジさんは来るなってよォ》 「ハロウィン?」 愚痴ぐちと続く話を巧みに促して聞き取れたことによると、どうも松平の愛娘、栗子が子供達のハロウィンパーティに彼氏とボランティアで参加するらしい。それを知った松平が娘にいいところを見せようと、真選組も参加すると約束したのだと。 「…で、栗子ちゃんの警護がてら仮装した隊士を何人かつけて、屯所に来る子供らに菓子を振る舞えってことだってよ」 自分がいかに娘に冷たくないがしろにされているかと泣き言が続く電話をようやく切って、土方は簡単に近藤に説明した。 「そうか…ハロウィンか」 難しい顔をした近藤が低い声で呟く。 「なんか問題があるか?」 渋い表情に見えて、土方が問い返す。 「ああ、うん。それなんだが」 目を上げた近藤の真面目な声に、土方は頷いて先を促した。 「ハロウィンって何?」 「…そこからかよ!」 武州の田舎育ちの近藤が知らないのも無理はない。ここ数年で急速に盛り上がり広まった祭りのようなものだし、子供と縁がなければあまり耳にもしないだろう。 「天人が持ち込んだ祭りでな、子供が仮装してあちこち家を回るんだ。『トリック・オア・トリート』って…つまりお菓子くれなきゃイタズラするぞーってな。言われた家はイタズラしないでくれ、と菓子をあげるんだよ」 「へえ、子供が喜びそうな祭りだなあ〜」 子供好きな近藤はニコニコしながら聞いている。 「それっていつ?」 「十月三十一日だ」 「じゃあ、すぐじゃん! 用意しなくっちゃ」 嬉しそうにカレンダーを見上げる近藤に対して、元々子供が苦手な土方の方は子供の相手をしなければならないことに今から憂鬱そうな顔をしていた。 「…ったく、とっつぁんもムチャ言ってくれるぜ」 経費は計上してくれていい、の言葉がなければ全力でお断りしたいところだ。 しかし近藤が思いの外喜んでいるようだから、多少は土方の溜飲も下がる気もした。 そしてハロウィン当日。近藤と土方は屯所で菓子配り、沖田と山崎と他何名かの隊士は仮装して栗子たちの警護にあたることになっている。 実は近藤も仮装して子供たちと一緒に回りたいと希望していたのだが、局長は屯所に居てもらわないと、何か事件があった時に困るからと隊士達に止められていた。 本当は色々な意味で迫力がありすぎて、子供たちも回る家の人も怖がるだろうという土方の配慮だったのだが、近藤本人には告げていない。 仮装したがっていたのを止められた近藤は少しだけ不満そうにしていたけれど、今は仮装の子供達を楽しみに待ちわびているようだ。 「あー、来たみたいだな」 本来ハロウィンは夜になってから行われるものだけれど、小さな子供達も居るので夕暮れから始められていた。 真っ先に真選組屯所を訪れるのは、夜の闇の中で近藤や土方に対峙するのは、子供には辛いだろうという沖田と山崎のさり気ない配慮なのだった。 子供達がそれぞれに小さな提灯をぶら下げて、ひと塊になってぞろぞろと道を進んで来るのが伺える。仮装といっても本格的なものではなく、簑をやシーツをかぶってオバケに扮したり、好きなヒーローやアイドルの服装を真似てみたりと可愛らしいものばかり。 しかしその後ろに居る黒い衣装を纏い大きな帽子を被った魔女と魔法使いが、その完成度の高さゆえに集団から浮いている。それが栗子とその彼氏のようだ。 栗子は彼と一緒に居られるだけで嬉しくて仕方ない様子で、あまり周囲が目に入っていないらしい。 土方の指示した通り、隊士達は子供達のやや後方からついてきている。山崎は頭に包帯を巻いてミイラ男、沖田はマントとプラスチックの牙を着けて吸血鬼に扮すると聞いていた。あとは狼男や馬のゴムマスクなど、時間がなかったせいか簡素なものが多い。 正門前までやってきた子供達は、ずらりと並んだ真選組隊士を遠巻きに見て足が止まってしまっていた。しかしここで菓子を受け取ってもらわなければ松平に嫌味を食らうどころではすまされない。 一同に緊張が走ったその時、後ろから山崎がするすると先頭の少年に近付きそっと耳打ちをした。 「お…っ、お菓子くれなきゃ、イタズラするぞー!」 少年はダッと近藤の前に進み出て、大きな声を張り上げる。 「おぅ、イタズラは困るから持ってけ!」 少年の声に近藤が応え、ニカッと笑って大きな包みを差し出した。 「さーほら、みんなも貰おうね〜」 山崎や隊士の穏やかな声に促され、こわごわと近寄って来た子供達はちらりと後ろの栗子を振り返る。 「大丈夫、みんなやさしい人ばかりでございまする」 にっこりする栗子の微笑みにやっと安心したようで、両手を差し出し口々に菓子をねだり始めた。 栗子は側に佇みニコニコと子供達の様子を見守っているのだが、その彼氏は遠巻きにした位置から未だ動いていない。しかもその背後には何故か沖田も居る。 薄闇にまぎれているが、魔法使いの大きな帽子の影で栗子の彼氏の顔色があまり良くないことに気付いた者もいるかもしれなかった。 「みんな貰いましたか、それでは次に行くでございまする〜」 「はーい!」 栗子の声を受けて、子供達は菓子の入った袋を下げて笑顔で次の家へと歩いて行く。ぞろぞろ進む集団を見送ってから、無事に役目を終えた疲れからか、土方はその場で煙草を口にくわえて火を点けた。 ふうっと吐いた煙が最初の光を投げかける星を一瞬隠して流れていく。 「そういや、総悟あの中に居た?」 「ああ、栗子ちゃんの彼氏の後ろに居たな」 「そっか、気付かなかった」 菓子の置いてあった台を片付ける隊士達を見ながら、近藤は軽く頭を掻いている。事前に人数を聞いていたお陰で菓子はひとつ残らず、なくなっていた。 「あんま目立つとまずいしな」 「…なんで?」 土方の呟きにぴくりと近藤が反応する。携帯灰皿に丁寧に煙草をもみ消してから、土方はうっすらと口元を緩めた。 「子供らの前で不埒な事してもらっちゃ困るからな。総悟が釘刺して見張ってるんだ」 「あー…なるほどね」 愛娘に参加を断られてしまったものの、松平が栗子の仮装を見たがらない訳がない。きっと、どこかでこっそり隠れて見ているに違いない。 そんな時に栗子と彼氏がいちゃついていたりしたら、松平が逆上して何をしでかすか分かったものではなかった。 そんな危険を阻止する為なら、彼氏に少々怖い思いをして貰うのも仕方がないだろう。 「まったく、誰の為の警護なんだか」 「違いない」 土方のぼやきに、近藤が苦笑いを漏らす。 松平が指示したのは栗子の警護。しかし実際は栗子の彼氏を松平から警護しているようなものだ。 「今度の彼氏も、いつまで保つか」 「さーな。もう片付けも済んだし、中入ろうぜ」 いつものように、外に門番を残して正門が閉められる。焚かれたかがり火も撤去されて玄関前は静けさを取り戻した。 「まったく、とんだサービス残業だぜ」 「あ、トシ」 玄関を開けようとした土方を、近藤が呼び止める。十月の末、夜風は冷たく感じられる。 「なんだよ?」 「オレには菓子ないの?」 満面の笑みで手を差し出され、土方は思わずその手と近藤の顔を見比べた。 「何言ってんだあんた、二十代も後半のくせに」 「えー、栗子ちゃんだって貰ってたんだからいいじゃん」 「もう一個もねえよ。全部配っちまった」 土方は呆れた気分で冷たく言い放つ。えー、と近藤は頬を膨らませて不満顔を作る。この辺りはまるで子供と一緒だ。 「お菓子くれなきゃイタズラするぞ!」 「バカ言ってんじゃ…」 適当にあしらおうとした土方は、不意に肩を掴まれそのまま外壁に背中を押しつけられる。 「んん…っ」 間髪いれずに覆い被さってきた近藤に唇を塞がれ、驚きのあまり熱い舌の侵入までを許してしまった。 「…う…っ、ん」 外気に触れていた頬や手の冷たさと正反対な近藤の熱っぽさに体の芯が痺れるようだ。 惜しみながらゆっくりと舌を引いていった近藤に抱き締められて、そういえば、こういったことも随分ご無沙汰だったと、土方はぼんやりし始めた頭の隅で思っていた。 「なあ…近藤さん」 互いの耳が触れ合ったままの姿勢で、土方がぽつりと問いかける。 「ん……」 怒られると思ったのか、近藤の肩がぴくりと緊張した。 「あんたの最終目的は菓子か、それともイタズラなのか?」 「えと、そりゃあ…イタズラのほうで…」 ぼそぼそと答える近藤の声にまだ多少覇気が欠けている。土方は身動ぎして、近藤の肩を少々強く押し返した。 「トシ……」 何も言わずに目を逸らした土方の様子に不安を煽られた近藤が情けない声を漏らす。 「こんなとこじゃ、嫌だ」 「え、えっとそれって」 見なくても、声のトーンが上がったのを聞くだけで近藤がどんな顔をしているのかが分かる。 「…後で、部屋行くからな」 「待ってる!」 飛び上がって喜びそうな声を背中で聞くと同時に、ダダッと近藤が玄関に飛び込んで行った。土方はその場にとどまって、もう一服火を点ける。 頬が熱くて、まだ人前には出られそうになかった。 松平が唐突に持ち込んできたハロウィンの祭りも、結果的にまあまあ良かったと思える。 今夜もし土方が菓子かイタズラかと迫ったら、近藤はどう答えるだろうか。そんなところを想像して緩みかけた口元に煙草をくわえた。 遠くから、子供達の元気な声が風に乗って流れてくる。 霜月寸前の夜、空は快晴。
---------------------------------------------------------------------- 背景素材 Aslan様 |