font-size       
年越し

「うぅう…寒……」
近藤は、もう何度目かも忘れた呟きを繰り返して拳を握りしめた。
しんしんと忍び寄る冷気に晒されている耳が痺れるように痛い。手袋をしている指先もブーツの中の爪先も、既に感覚がなくなっている。
唸りながら足踏みしても少しも暖まらない。暖を取りたくてもここから動く訳にはいかないのが辛いところだった。

「もう少し静かにしろよ」
少し離れた傍らから、ぼそりと低い声が聞こえる。目を向ければ同じお仕着せの防寒具を身につけた土方が立っている。
「だってトシ、寒くないのか」
「そりゃ、寒いけどさ…言ったってどうにもなんねえだろ」
ふたりが話すにつれて、吐き出された白い息がゆっくりと流れて消えていく。
そのとき、腹の底に響く鐘の音が静まりかえった空気を震わせた。

「やっとはじまったな」
土方の声に、ほっとしたものが混じっている。近藤も小さく息をついて頷いた。

今宵は十二月三十一日。
年の瀬の大晦日、真夜中に一体何をしているのかというと。
松平片栗虎の提案で将軍が除夜の鐘を楽しむことになり、真選組は大半がその警護に引っ張り出されているのだった。
近藤と土方は寺院へと登る石段の最上段に立ち、周囲の警戒に余念がない。しかし吹き抜ける風をまともに受ける場所で寒くてたまらない。
「とっつぁん、張り切ってんなあ」
ちらりと近藤が振り返って呟く。境内の中、たすきがけで鐘木の綱を掴んでいる松平はまるで寒さとは無縁に見えた。
「もう酒入ってんだろ」
こんな状況であの松平が飲んでいない筈がない。松平本人は、将軍にも少しは外遊びが必要だから渋々呼び出しているのだと豪語してい
る。しかしそれは、将軍をダシに松平が宴会したいだけではないのかと真選組の誰もが感じていた。
それを言葉にできる勇者はまだ、いないけれども。

「そおーれ、どんどんいっちゃうぞぉー!」
「パパすてきー!」
気持ちよく鐘を撞く松平を、飲み屋から連れてきた女達の声が囲んでいる。あの女達も、いくら火鉢や暖房の近くとはいえ吹きさらし
の境内で、よく薄絹程度の格好でいられるものだと感心していた。
主役のはずの将軍はといえば、急遽作らせたらしい座敷にきちんと正座して、真面目な表情で松平の鐘撞きを見守っている。

「あのヒト、いつも楽しいのかね」
もう一度ちらっと振り返ってから、近藤がぽつりと呟く。松平の誘いには大抵頷いているというが、あまり楽しそうにしているのを見たことがない気がする。引きずられているだけではないのかと心配にもなっていた。
「楽しかったから、また誘ってくれってとっつぁんに言うんだってよ」
「そうかあ。ならいいんだけど」
楽しみ方は人それぞれ。本人がいいと言うならばそれでいいのだろう。

「…まだ終わらねえ訳?」
やっと始まったのはいいけれど、鐘撞きはいつまで経っても終わる気配がない。同じリズムで撞かれる鐘の音は荘厳でも、ずっと聞いているのも飽きるものだ。
そろそろ煙草が恋しくなったのか、土方がこそりと話しかけてきた。
「除夜の鐘は百八回撞くからなあ」
「ひゃくはち…そうだっけか」
「それが煩悩の数なんだってよ」
神も仏もないと普段から言う土方は、神仏関係の行事などは驚くほど物知らずだったりする。
近藤の方も答えながら、いま一体何回撞いたところかと考えるだけでもげっそりした。
「鐘、撞いたら煩悩が消えんのか?」
「さあねえ。そんなので消えたら苦労はないけど」
「…まったくだ」
呆れた顔をして、土方が細く長く息を吐く。その横顔を何気なく眺めていた。

「あーあ、ほんとにツイてないなあ。こんなとこで年越しなんて」
せめてもう少し暖かければと思う。そんな胸の内がぼやきになって流れていく。
「トシもそう思うだろ?」
問いかけると、見詰めていた横顔がふっとこちらに向いた。
「別に」
「ええー」

同意を得られるとばかり思っていたせいか、意外な答えに不満の声が漏れた。
「すげー寒いし退屈だし、煙草だって吸えないのに?」
何となく意地になって呟くと、土方は軽く目を伏せる。
「あんたと一緒に居られるから、ツイてないとか思わないな」
「…………」

いま、確実に体温が一度ほど上昇したと思った。
土方は普段から、クールすぎるほどにそっけない。たまに、自分達は恋人同士だったよな?と近藤が自問自答してしまうほどに。
しかし時々こうやって、不意打ちで近藤を嬉しくさせるようなことを言う。
それも無意識なのだから、余計にどきどきしてしまうのだった。
「これが済んだら非番だ。そしたらゆっくり暖まろうぜ」
もう何十回撞いたかも分からないのに、松平の鐘の音は疲れを知らずに響いている。晴れ渡った夜空に染み渡るように。
まだ明け方も遠い空を見上げる土方の横顔が綺麗だと思う。
「ふたりで暖まるのが、いいなあ」
「それもいいかもだな」
近藤の声に、土方が小さく笑って頷く。言葉に含ませた意味に土方が気付いたかどうか分からないけれど、今は確かめなくてもいいか
と思った。

「そぉれそれー、もうすぐ年が明けるぞー!」
背後から聞こえる松平の大声を聞いて時計を確かめると、もうじき今年が終わりを告げようとしている。
「今年もいろいろあったなあ」
「まったくだ」
近藤がしみじみ呟くと、今度はすぐに同意してくれた。
「来年も一緒に、いい年にしような」
「……ん」
少々歯切れの悪い言葉に気付いて目を向けると、土方もじっと近藤を見詰めている。
「来年だけじゃねえだろ」
「そうだな、これからずうっとだ」
「…おう」
笑顔で答えると、にやりと笑い返してきた。
その時、背後がわあっと歓声に沸き返る。どうやら年明けを迎えたようだ。

「明けましておめでとう、近藤さん」
「おめでとう、トシ」
見つめ合って年越しを迎えたのが少し照れくさいのか、土方は近藤の返事を聞いてすぐに境内に向き直ってしまった。
「さすがにとっつぁんも疲れたか」
土方に促されて近藤も境内に目を向ける。鐘の前から松平が離れ、将軍が立ち上がっている。どうやら交代するらしい。
「将軍が年明けの鐘を撞くみたいだな」
「おぅ、そりゃいいな」
最初から最後まで松平が撞くのもどうかと思っていた。最後の一回だけ交代するというのも松平らしいといえばそうなのだが。


────ゴォォン

……

将軍の撞く力強い鐘の音が新年の町に響き渡る。それは天下太平の願いのようにも聞こえた。
「今年もよろしくな、トシ」
「ああ」
触れたいのを堪えながら笑いかける。薄く笑った土方も、同じように感じていてくれたらいいと思った。



----------------------------------------------------------------------
2009.12.31(C77配布ペーパーより再録)


猫又




背景素材 Aslan


前のページに戻る